2017年8月24日木曜日

練習中の組曲について

 こんにちは。アルトの宇佐美です。

 足立混声合唱団初めての演奏会が来月に迫り、団メンバーもかなり今身が引き締まっている筈(๑≧౪≦)ですが、今日は現在演奏会の為に猛練習中の組曲について少しお話したいと思います。
 林光(作・編曲)の「うた・ねがい・明日ともなれば」。
  以前から、スコアブックのまえがきに「うた」「ねがい」は、~報告劇「ワルシャワ労働歌のうた」(台本:佐藤信)に含まれる曲を混声合唱用に編曲したもの~と記され、「・・・。」と思うところがありました。
「・・・。」は、?であり、好奇心であり色々です(^_^;)。
で、ちょっと調べたくなりました。

きっかけは「うた」の歌詞にある「ロ-レライ」の詩の一部が引用されていることでした。
この曲は、~うたはどこで覚えた~○○して覚えた~と、繰り返す曲です。
ネットで見てみると、歌詞1番では「江戸子守唄」~ぼうやの子守りは~とあり、続いて2番は
「ロ-レライ」~ナジカハシラネド~、3番では「黒い花びら」~だからもう恋なんてしたくない~、
これは水原弘の歌謡曲ですね(゚O゚)。そして、最後に「ワルシャワ労働歌」~とりでの上にわれらの世界~と、ありました。幼少の頃、学生時代、恋をした時、戦下。その時、その場所で人々は「うた」を覚え、どんな時にも「うた」があると考えさせられた一曲でした。
 「ねがい」は、ポーランドが第二次世界大戦後の「欧州の冷戦」に巻き込まれ、民主化運動が起こりその労働組合を支援する目的で、林光が作曲。
ポーランドの人々を励ますために、ポーランドが生んだ作曲家、ショパン風の断片を乗せ、クライマックスとなる間奏にはポーランド国歌が引用されています。
ネットでポーランド国歌を聴いてみましたが、確かにとうなずくところでした。
「ねがい」のこの間奏は聴き応えがあり、ピアノを弾けない私には楽譜を見ると指がどれだけあっても足りないくらいに思えましたが、さすが我が団のピアニストの岡元先生は迫力のある演奏をしてくださいます。
最後に「明日ともなれば」。
この曲はスペインの詩人であり劇作家のフェデリコ・ガルーシア・ロルカの「新しい歌」を
長谷川四郎が訳詞し、林光が作曲のために「明日ともなれば」と変更しました。
なかなか理解しづらい詩だと思いました。
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昼過ぎが言う ― 影を飲みたい!  月は言う ― 飲みたいのは星の輝き 
澄みきった泉は唇をもとめ 風がもとめるのはため息
匂い 笑い 新しい歌 これがぼくの飲みたいものだ 月だとかユリの花だとか 死んだ愛などから自由な歌だ
あすともなれば一つの歌が 未来の静かな水面をゆさぶり そのさざ波とぬかるみを 希望でふくらますだろう
光り輝いておちついて 思想に満ちた一つの歌 悲しみや苦しみやまぼろしに まだよごれていない一つの歌
叙情的な肉体なしに 笑い声で静寂を満たす歌だ (未知のものへと放たれた めくらのハトの一群だ)
もろもろの物 もろもろの風 その中心にせまる歌だ とこしえの心の喜びに 最後にはやすらう歌だ
                                     明日ともなれば  詩 F.G.ロルカ / 訳 長谷川四郎
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この詩に何とも言えない不協和音が組み込まれ、歌う側としては音が取りづらく、何度も何度も確認しながら今現在も我が団メンバーは格闘?しています。
ただ、詩人ロルカの半生を考えると少しだけこの詩が理解された気分になります。
ロルカは38歳没という短い人生でした。
大戦前、内戦の中、本人は政治活動は行いませんでしたが、ファシストによって故郷グラナダで捕らえられ銃殺(殺された理由は不明です)。
独裁政権下、ロルカの本は禁止され、自由に歌うこと、書く事、愛すること、諸々、生きることの
同義を訴えた。
自由をもとめ魂を詩に綴った一曲だと思います。
 
こんなことを色々考えながら、演奏に取り組んでいくのも楽しいものですよね(*^_^*)。
11月19日の演奏会も是非、楽しく歌いたいものです。